小説

なかなか酔うなあ、と心臓の下を引っ掻くような宇宙船の音を聞いていて思う。

 


地球にはなかった音だから慣れる気がしなくって、非現実的な現実に、何度も繰り返した哲学的な問いを虚空へ投げかけた。

 

 

 

─── 特筆すべきことのない人生を送っていたと思うけれど、ある程度胸を張れるくらいは順調だったとも思う。────

 

 

 

そこそこの大学を推薦で決めてのんびりしていた2月、突如宇宙船らしき何かに攫われた。自分でも未だに理解の出来ないまま、放り込まれたのは富士急ハイランドのお化け屋敷かと見間違うような研究施設。

 

 

 

 


泣き叫んでるアジア系のおばさんに、怒鳴り散らす白人系のお兄さん、もはや悟りを開いているタトゥーだらけのおじいちゃん。その中に1人放り込まれたわたし。なんだか冷静になってしまって、あやとりなどして正気を保ったのを覚えている。

 


すごおくネチっこい目をするフレームのない眼鏡のおじさんからよくわからない説明を受けながら、腕に装置の針をつけられた。

 

 

 

 


死ぬほど痛いし、何故か何かが終わった後はクラリと気を失ってしまうけれど、そんなことより考えることが多すぎて気づけば慣れてしまって違和感も感じなくなった。お風呂だけはなんだかしっかり立派だ。

 


数ヶ月が経ち、他の星の人たちが地球を含めた文明が遅れている星の人たちを拐かしていると耳にした。安いSF小説もこんな設定を作らないだろうが、いつでも現実は物語より奇なり、である。

 


私たちをまるで我が物にしているから、もはや憲章とか、取りまとめる協会まであるらしい。文明が遅れてるだなんて失礼だなあ。考えても無駄だし、家族や友達のことは頭から追放することにした。それに、謎だらけの宇宙だもの、こんなこともあるんだと思う。わたしが生きていることだって、きっと同じくらい壮大な話だ。

 

 

 

 


施設にいる人たちはグルグルと入れ替わった。私より10歳は年上の人しかいないけれど、わたしはずうっと施設にいたのに不思議だった。

 

 

 

 

 

 

 


そんなこんなで二年が経ち、私は乱雑に針を抜かれて血だらけの腕を抱え、鳴り響くような頭痛と共に、久しぶりに宇宙船に乗っている。

 


酸素や自転の関係で、ここでの2年は、私の老化具合で言えば地球の2ヶ月にあたるらしい。18歳1ヶ月で誘拐された私は、たぶん18歳3ヶ月になった。寝台の上で哲学に耽り、あやとりしかしない生活を送っていたからかしら。まったく精神的にも違和感がないことに違和感を感じてしまう。

 

 

 

 

 

 

船に乗って何十時間たっただろうか、硬めの椅子でぼうっとしていたら、わたしの部屋にスタスタと若い男の人が歩いてきた。

 

 

 

胸にバッチをつけているから、私たちをどこに移動させるかを決めている類の協会の人だとわかる。私をあんな環境に2年も置いた人達だもの、さぞかし屈強なムキムキマンロッテンマイヤー先生のような人だと思っていたのに。

 


スラリと伸びた背に小さい頭、とても綺麗で儚く整っているけれど正直言って覇気はない顔。優しそうだけれど頼りなさそうな、あとなんだかメルヘンチックなパーカーを着ているその人は、ワダと名乗った。肩に乗ってる鳥はピーちゃんと言うらしい。

 

 

 

 


ワダさんは私の顔を、眉尻を下げてそっと覗き込む。

 

 

 

「え~っと…あの…なんか叶えてほしいこととか、ありますかね……?」

 

 

 

話を聞いていくと、どうやら協会はわたしに対しての罪滅ぼしをしたいらしかった。

 

 

 

彼の話をまとめると、つまりわたしのいた研究施設はかなりブラックで、収容されるのはそこそこの犯罪歴のある大人だけ。わたしは何かの間違いでそこに入れられたと聞いて、ツッコむ気力もなくしてしまった。

 

 

 

あの微妙に立派なお風呂では、その人たちが処刑されたり、実験に耐えられずジサツをしていたと聞かされて思わずヒッと声が出る。そんな異常な環境であやとりをしていたわたしを褒めることしかできなくなってしまった。どう見てもただの富士急だったけれど。

 

 

 

 

 

 

次の施設もそんな野蛮なところじゃないのかと不安になるわたしに、ワダさんはファイターポーズをとって励ましてくる。なかなか穏やかで優しい声だ。

 

 

 

「次に(名前)さんをお連れするところは、ちゃんといい人達の居る実験施設ですから!そこである程度快適に暮らしてもらうためになんか願いを叶えさせてください!魔法でなんでもできるんで!!」などとワダはのたまう。そっとしゃがんで合わせてくれる目はすこし泳いでいるように見えた。

 

 

 

うすうす感じてたけれど、魔法が宇宙にはどうやら普通にあるらしい。小説に出てくるようなのとは違うみたいで、なんだか夢がないけれど。

 

 

 

どうやらワダさんはお人好しで優しく、誰かのミスの尻拭いに駆り出されてしまったのだろうということがヒシヒシと伝わる。可哀想になってしまったので、たくさんの願い事を頼むことにした。人生、イージーモードに越したことはない。

 

 

 

わたしはとりあえず年頃の乙女らしく、歯と目とシモの悩みが起きることのないこと、今から行く星の人たちからわたしが宮崎あおいくらい可愛く見えることを望んだ。見た目がいいだけで優遇される、この世界はなかなか生きづらい。

 

 

 

ついでにワダさんの反応を見ながら、なんの責任も負わなくていいこととか、捕虜としての仕事以外はやらずに済むこととか、楽する方向でいろいろ付け足してみる。

 


ワダはなんだか申し訳なさそうな顔で喜び、ピーちゃんに何かを話した。

 

 

 

ピーちゃんは「ユウキ!マカセトケ!」なんて大声で言ってグルグル回る。なんだかゴーカイジャーを思い出す感じだ。

 

 

 

ワダさんはそうっと優しく私の両肩をもって、わたしに歯を食いしばるように言った。

 

 

 

 

 

 

部屋がキラキラして、目がチカチカする。船もグルグルする。

 

 

 

 

 

 

「その…これで多分(名前)さんが言及されたやつは大体なんとかなるかと思います…!俺は次の仕事に……」とワダさんは言って、すぐにどこかに消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 


───部屋の中に、冷たい風が通り抜ける────っていうか普通に寒い。

 

 

 

 

 

 

3℃を指す温度計と、薄い春服の自分を交互に見る。ケニア人とフィンランド人ですら気温には分かり合えないのだから、宇宙人に向かって下手に足掻いても無駄だろうと諦める。

 

 

 

ゴウンゴウンと増す音に、船揺れが酷くなっていることに気づいた。勝手に震える体が吐き気に拍車をかける。ワダさんに温度設定についてもお願いしておけばよかったなあと思いながら、回る目を誤魔化すように目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 


協会から届いた書類を見て頭を抱えた。

 


真っ白の報告書の中にたった一つ、「(名前)」と書かれている。

 


呼び名がわかったところで何の準備もできないんだけどなぁ、と思いながら首をまわした。隣では如恵留が壁に空いた穴を直している。

 


こちら側が被験者に求める条件は一つ、どこかの施設で既に被験者として生活をした経験があることだけ。そう協会に伝えているのに、新しく来る人たちはいつも、何かに怯えるように極度のパニックになる。

精神衛生上の観念から、本当に嫌がる人たちを環境のいいところに斡旋していた結果が、1週間以上この星に滞在した被験者がいないという現実だ。

 


如恵留が直している穴も、先々週に帰った被験者が開けた穴だ。無理に取り押さえるということをしないうえに、そっと家に招いただけなのにここまで怖がられてしまうから、ただどうしようもなくなってしまった。

 

 

 

最後の手として、壁に穴は開けないだろうと「若い女性」という条件を付け足して協会に送ったのが10日前のこと。条件に合致する被験者はどうやら1人しかいないらしく、これを逃したら手詰まり。そんな大事な今日が被験者が来るという日なのに、朝になって初めて送られてきたのがこの手に持っている紙だと思うとため息が出る。

 

 

 

ここの星は、異星人が体調を崩しやすいという不思議な特徴を持っている。そんな異星人の被験者を診ることで病気の解明を急ぎつつ、研究所に隣接する大病院で臨床もしなくてはいけない。壁の穴をふさぎ、被験者のパニックに対応している暇は正直言って、ない。

 


こじんまりとした星の中の、ひときわ目立つ大病院にとなりあう研究所で、俺たち研究チームは寝食を共にする。せっかく融通のきく家なのだから被験者の落ち着くように環境を整えたかったのになぁ。

 


二度目のため息をつくと、如恵留が俺のいるソファまで声を投げた。

 


「阿部くん、壁の修理、終わりました!今度来る被験者さんこそリラックスしてもらえればいいんですけれど……」と、端正で彫りの深い眉をシュンとさせてこちらに歩いてくる。

 

 

 

万全の準備が出来ればよかったものの、被験者がどういう状態でやってくるのかが分からない。研修医の皇輝を除く6人で、総出で迎えうつことになっているから、そのうち残りの4人も病院から帰ってくるだろう。

 


片手に万年筆をいじりながら、時計をまた眺めた。被験者が来るのはまだ5時間も後だ。

 

 

 

 


 

 

 

 


本格的な吐き気に何度も目の前が白くなる感覚がある。文字通りチカチカするが、協会から研究に支障が出るから吐くな泣くなうんたらかんたらと言われているのを思い出し、喉にグッと力を込めた。

 

 

 

 


ぐるぐる回る宇宙船は今まで体験したことのないような揺れ方をするから、普段の乗り物酔いとは桁違いに気持ち悪い。頭はまるでショートしてしまったかのように熱くて、現実と夢と寝ぼけの区別がつかないまま思考が進まなくなってしまう。

 


震えてガチガチと鳴らす歯と冷え切ってしまった耳のせいで、まるで自分が絵本に出てくる孫悟空の金の輪をはめられたかと思うような錯覚を起こすほどの酷い頭痛を覚えた。寒さのせいで楽になる姿勢をとれないまま、協会の人が「あと少しで着く」と言っているのを何度か反芻してから理解する。

 


 


ドシン、と大きな音がして意識が一瞬覚醒した。反射で戻しそうになるのをすんでのところで我慢し耐えていると、宇宙船から出ろとお呼びがかかった。

 

 

 

冷え切った、思うように動かない体を抱えて足にムチを打つように歩く。金属質の扉を開けて外に出ると、眩しい光が目に飛び込んできた。この星にも太陽らしき何かがあるらしい。日の光が既にチカチカしているわたしの視界を、そして思考を容赦なく奪う。

 

 

 

 


何も考えられないまま、ただひたすらに片足ずつ交互に踏み出していく。

 

 

 

船を出ると、そこは庭だった。映画に出てくるような大きなお屋敷の、英国風の綺麗な庭。金属室の船が大きく主張し、不思議な世界に迷い込んだような気がした。私を受け取りに来たと思われる、優しく端正な顔をした男の人が船員の誰かと話していた。

 

 

 

 


どれだけ歩いただろうか、トントン、と肩を叩かれた気がして意識が少し戻る。さっきの場所からほとんど時間も距離も進んでいないことに軽く絶望を覚えながら、後ろを振り返った。反動で倒れそうになるのをお腹に力をいれてこらえる。 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?顔色ほんまに悪いで」

 

 

 

 

 


せっかくの捕虜がこんな不良品ですみませんね、と思いながらも頷けば、その人は近くのベンチにわたしを座らせた。頭はどんどん回らなくなる。

 

 

 

そっと目の前の人に焦点を合わせようと顎の角度をあげると、その人はわたしを支えるように、両手で優しく、けれど力づよく私の肩を掴んだまま驚いた顔を浮かべた。

 

 

 

「吐けるか…?早う楽になりや?」そう言ってその人はどこかに行ってしまった。目で追いたいけれど、そんな余裕はない。

 


わたしだって吐きたい。吐きたいけど吐いちゃいけないのだ。この人はなんにも知らないのだろうか、あれだけ我慢したのにここで屈するわけにはいかない。またあの地獄の宇宙船に戻されてなるものか。

 


関西弁のその人は、右手に青いラテックスグローブをつけて戻ってきた。袋を抱えて。

 


「大丈夫やで、吐かせたところで検査に影響出さへんようになんとかしたる。安心して身を任せてくれたらええから。」

 


何を言われたか分からず言葉を反芻していると、その人は左手でわたしの首根っこを優しくつかんだ。私の喉にグローブをはめた中指が入れられる。長くゴツゴツした指が、喉の奥で曲げられて的確に吐き気を誘導していく。

 


喉の一番奥でクイっと指が動いて、浮くように楽になったと同時に目の前が白くなった。そこから先の記憶は、ない。